ジェノサイドさんが、来るッ!

作者:藤月朔太郎
原案:そま

2010/06/11 up


     1.


 ジェノサイドさんが来る。そんな可哀想なものを見るような目をしないでくれ。来るものはしょうがないのだ。くわしくは後でちゃんと話すから、とりあえずちょっと聞いてほしい。面倒くさい?まあ聞けって。5分で終わらせろ?大丈夫、2分だ。


 中学三年の夏の終わり、俺に初めて彼女ができた。どんな風に…ってそこは論点じゃない。ただ季節をよく覚えて欲しい。夏の終わり、だ。しかし、俺たちは3年たった今でもまともに二人で手をつないで歩いたこともない。そう、いわゆる遠距離恋愛ってヤツなのだ。だから彼女とは春の中頃と夏の終わりくらいにしか会えない。その頃になると彼女はマレーシアの辺りから北上、もとい会いにやってくる。い、いや日本人だと思う、たぶん。しかしながら会えるのは長くても2日ほどで、それ以上伸ばすには俺が日本を駆けずりまわらなきゃならなくなるんだ。

 え?どうしてかって?それは……。


 それは俺の彼女が、台風だからだ。



     2.


「寝言は寝て言え。真剣に聞いて損したぜ」

 陣野はそう言うと飲みかけのコーラを一気に飲み干して席を立った。慌てて俺はそれを追いかける。

「おい、ちょっと待ってくれよ!冗談じゃないんだ」

「それが冗談じゃなかったらそいつのかあちゃんは何だ!?海か?母なる海とか言うのか?」

「ホントだって!証拠も見せる」

 そう言って俺はポケットから携帯電話を取り出し、彼女の写真を見せた。そこには大雨の中、風で木々を揺らし、あらゆる交通網を停止させつつ、にこやかにこちらに手を振りながら走ってくる女の子が写っていた。他人から見たら悪夢そのものだろう。子供だったら泣く。大人だって泣く。

「これは去年会った時の写真だ」

 俺は携帯電話の画面を見せるというよりほぼ突き付ける形になっていた。

「この時ばかりは俺も挫けそうだった」

 陣野は口をあけて見入っている。普段から猿のような容貌の彼が一段と類人猿へと退化した気がした。

「さあ、席に戻ろうか」

「コーラおかわり」

「奢ってやる奢ってやる」

「腹が減ったなあ」

「すいません!オリジナルサンドイッチひとつ」

「蟹食いたいな、蟹」

「勝手に食え馬鹿」

「あっ、お前人がせっかく協力しようとしてるのに!」

 そう言いながらも陣野は再び席へと戻り、座った。しかし、呆れるほど良いやつだ。普通なら写真ごときで信用してくれはしないだろう。

「で、具体的に何をすればいいんだよ」

「彼女と少しでも長く一緒にいられる方法を考えて欲しい。実際彼女が同じ場所に留まっていられるのは2日くらいなんだ。それ以上留まると被害も大きくなる。それは彼女の良心が痛むらしいんだ」

「ちゃんと会話できるんだな」

「馬鹿。彼女は人だぞ」

「……台風だけどな。じゃあおまえが頑張って追いかければ良いじゃねえか。旅行と兼ねてとかよ」

 陣野はもう慣れたようだった。こいつの適応能力には目を見張るものがある。しかし羨ましくは、ない。

「行ったさ、おととし。でもそうするとどこも台風の影響でやってないんだよ、遊園地とか!電車も止まるしバスも止まるし。そうこうしてるうちに彼女は日本海を抜けて行っちまったんだ!」

 俺は少し芝居めいた動作で両手を広げる。陣野は可哀想な人を見るような眼で俺を見た。おまえの気持ちもわかるけどさ。

「…走ってじゃ追いかけられねえのか?」

「台風は早い。俺なんかじゃ追いつけねえよ」

「でも台風ってある程度雨降らしたら熱帯低気圧になるんだろ?そうしたら少しは雨とか風も止むんじゃないのか?」

 陣野の発言ももっともだった。俺は椅子によりかかって深いため息をつく。

「たしかに熱帯低気圧には変わる」

「だったら」

「でも彼女は熱帯低気圧な自分を見られたくないらしいんだ」

「…なんだそれ」

「わからん」

 俺は大げさに肩を竦める。陣野は頭を抱えたが、とりあえず何かを考えてくれているようだった。

「案その一だ」

 いくばくか考えた後、陣野は身を乗り出して俺の目の前に人差し指を突きつけた。

「まずその…ジェノなんとかさんが来る」

「ジェノサイドさんだ!」

「うるせえ、黙って聞け。そうしたらお前が迎えに行く、いろいろ大変だが微笑ましい二日間を送る。ここまでは良いな?」

「良い。というかそれが望むべき道だ」

 俺は頷く。そうなってくれれば最高だ。そうなってくれれば。

「それで『じゃあ私はこれで…』みたいな流れになる、その直後お前はジェノサイドさんをガッチリ掴んで離さない!そしたらどうなる?」

「うれしい」

「お前がどうなるかじゃねえよ、馬鹿。ジェノサイドさんだ!」

「…熱帯低気圧になる?」

「イエス、そうだ。これで雨風も収まり一件落着と」

「でもジェノサイドさんが見られたくないって」

 そう言った途端、陣野はテーブルを叩き立ち上がり他の客を無視するほどの大声で言った。

「男なら…やってやれ、だろが!」

 言ってることの意味が全く分らなかったし、客は驚いてこっちを向くし、陣野は自分の言葉に酔ってるし、何より作戦がさっきからほとんど進展しているわけでもなく、俺がただただ恥ずかしいだけだった。陣野はというとひとしきり酔い終わり、席についてさっき運ばれてきたサンドイッチを猿のように貪っていた。

「…案そのニは?」

「案にその二など、ない」

 唯一の期待もその一言でかき消されたが、俺の心にはなんだかやれそうな気持ちまで起き始めていた。陣野は実はすごい奴じゃないのだろうか。腹をくくらせるプロかもしれない。奴が腹くくらせ屋を開店したら儲かるに違いない。俺がやけくそになりやすい性格であるということも捨てきれないが、まあそれは捨てておこう。これ以上短所が増えても困る。やけくそ屋でも開店しようか。

「わかったよ、今年はそれを試してみる。ありがとな、こんなことにつき合わせちゃって」

「ああ、頑張れよ。そうか、やるのかぁ。まあ俺ならやらないけどね」

 陣野はそう言って笑った。屈託のない子供のような笑顔だった。殴った。



     3.


 決戦の日は意外と早く訪れた。先程から風が強くなり、あたりには厚い雲が覆い始めている。ほかの人から見ればひどい天気なのだろうが、俺からしてみれば絶好のジェノサイドさん日和だ。俺は一人でカッパを身にまとい、ジェノサイドさんがやってくるであろう方向を見つめていた。仁王立ちで。いつもなら子供たちや犬を散歩させる人たちで賑わうこの公園も自分以外には人一人、犬一匹見当たらない。

「寒いほど独りぼっちだ」

 そんな詩的なことを言ったところで誰かが反応してくれるわけでもなく、俺の声はすぐさま風で揺れる木々が擦れ合う音でかき消された。帰ろうかな。

 そうこうしているうちについに雨まで降り始め、本格的に台風の接近が感じ取れるようになった。次官としては、そろそろだろうか。俺が一人でそわそわしていると後ろから肩を叩かれた。後ろを振り向くと猿が、もとい陣野が同じくカッパ姿で佇んでいた。

「よう、見に来たぜ」

「ジェノサイドさんはパンダじゃないぞ」

「でもよう、話を聞いたら見てみたくなるのが人間なのさ。大丈夫、見たらすぐ帰るから」

「何が大丈夫なんだ、何が。大体お前は昔っから…」

「おい、あれはなんだ?」

振り向くと遠くに空を飛ぶ何かが見え始めた。それは猛スピードで明らかにこちらへ向かってくる。読者諸君はもうお分かりかもしれないが、とりあえずやっておこう。お約束というやつだ。

「すごい速さだ…。鳥か?飛行機か?」

「いや…」俺は言った。「ジェノサイドさんだ」



     4.


 ジェノサイドさんが来た。いつもどおり高校の夏服だった。ジェノサイドさんはいつもそうだ。どこの高校だろう。ていうか学校に行っているのだろうか?そもそもどこの生まれなのだろうか?それ以前に彼女は本当に人間なのだろうか?そんなことも知らない自分が途端に悲しくなってきた。陣野はというと口と目をこれでもかというくらい開け、呆然としていた。ジェノサイドさんのあまりの美しさに度肝を抜かれたのであろう。今まで散々馬鹿にしてきた罰だ。

「ほ…本当に人だ。飛んできたのに」

 陣野このやろう。ジェノサイドさんがいなかったらコブラツイストの一つや二つお見舞いしているところだ。できないけど。ジェノサイドさんはというと地上に降り立ち自分のタオルで一生懸命髪の毛を乾かしていた。この台風の目はジェノサイドさんだから、ほとんど濡れることはないのだが、やはりすごいスピードで飛んでくると少しは濡れるらしい。どうやって飛んでるの?という質問は却下だ。万死に値する。

「じゃあ俺はこれで。頑張れよ。例の件」

 そう言うと陣野は帰って行った。本当に見たかっただけらしい。そういうところは日本人的だ。猿なのに。俺は大きく頷く。ジェノサイドさんは俺と陣野を交互に見て、戸惑いながらも陣野に手を振っていた。あとで俺から紹介しておこう。日本語を話すことができる猿であり、親友であると。

 ここからの二日間は割愛したい。おそらく読者諸君も俺とジェノサイドさんがイチャイチャベタベタしている様を望んでいるわけではないだろう。実際はサバサバ途切れ途切れなのだが。いや、ジェノサイドさんはあんまり喋らない上に喋るスピードも遅いからそうなってしまうのだ。俺が十喋るとジェノサイドさんが一返すといった感じだ。想像はついたであろう。そう、そんな感じだ。だから、ジェノサイドさんは滞在中どこで暮らしてるの?とか台風の目ってどこまで晴れてるの?とか二人で一体何してたの?とか言う質問は、おわかりだろう、却下だ。自分の脳内で補完してほしい。

 それから2日経って、予定通りジェノサイドさんは先へ進むこととなった。今年は北海道の方まで行くらしい。ジェノサイドさんが飛び立とうと準備を始める。その途端、風がジェノサイドさんから噴き出した。ここで止めなければまた来年ということになってしまうだろう。俺は勇気を振り絞って(主に生死の面で)ジェノサイドさんへと近づき、その両手をつかんだ。ハッとジェノサイドさんが俺を見る。口には出さないが、危ないから放して、みたいな気持ちが八割、お前空気読めよ、みたいな気持ちが二割なのだろう。残念ながらここで空気を読んでしまっては男ではない。悲しいことに陣野のあの言葉が浮かんだ。そうだ、男はいつの日かやってやらねばならない。ほかの人にとって手をつなぐという行為は至極簡単なものなのかも知れないが、俺達にとってそれは、勇気の証、愛の証のようなものだ。自分で言っててとても恥ずかしくなってきたのは内緒だ。風は一層強さを増し、雨までもがジェノサイドさんから噴き出し始めた。もう洪水のようだ。それでも俺は離さない。離したくなかった。俺はゆっくりとジェノサイドさんの方へと近づく。ジェノサイドさんはもう半ば泣きそうになっていた。俺は微笑み、言った。

「大丈夫」

 俺自身ボロボロだったし、ジェノサイドさんの進行予定を自分のわがままで踏みにじっておいて何が大丈夫か、と自分でも思ったがジェノサイドさんは俺を見、一筋の涙を流して、そして、笑った。

     5.


 風はいつしか止んでいた。空は青く、雲と言っても少しばかりの薄い、白い雲がところどころに浮かんでいるだけだった。台風一過とはこのことだ。もちろんそんなことはないのだけれど、世界が俺たちを祝っている気がした。俺は大いなる自然に勝利したのだ。

 ジェノサイドさんはというと少しうつむいて顔を赤らめていた。雨というフィルターが無くなった為であろうか。ジェノサイドさんが顔を上げる。そこには耳まで真っ赤になった、とてもかわいらしい・・・おばあちゃんがいた。


 俺が唖然としているとジェノサイドさんが言った。

「つまり…こういうことなのです」

 つ、つまり、あまりに雨を放出しすぎると体の中の潤いが失われ老化してしまうと、そういうことなのだろうか。だから年取った姿を俺に見せたくなかった。そう聞くとジェノサイドさんは黙って頷き、ものすごい速さで飛び立っていった。雨が失われた分、軽くなって速くなったのかもしれない。自分でも何を言っているのか分からないが。俺はしばし呆然としたまま、ジェノサイドさんが飛んでいった方を見つめていた。

 後から聞いた話だが、ジェノサイドさんは俺に会うためにわざわざ台風になって日本へと来ていたのだという。普段は至極穏やかな低気圧なのだそうだ。だから、老化することはないのだけれど台風になるとその反動で体の水分まで抜けてしまい、結果おばあちゃんになってしまうのだそうだ。自分の所為でジェノサイドさんに負担を掛けているのなら、俺が会いに行こうか?というと、ジェノサイドさんはこれまでにない位にそれを否定した。おそらく何か秘密があるのだろう。しかし、知られたくないことをむやみに知ろうとするのは野暮というものだ。静かに会えるその日を、待つことにしよう。



     6.


 夏に楽しみなことと言えば何だろうか。海で泳ぐことと答える人もいるかもしれない。アイスがおいしい季節だという人もいるだろう。避暑地の別荘で暮らすとか言う誰も聞いてないような自慢をするのも一種の楽しみにしている人もいる。しかし、俺にはそんなものはまるで無い。泳ぐのはたいして好きじゃないし、アイスを食べるとすぐ腹を壊す。別荘なんて欲しいとも思わない。そんな俺でも楽しみなことが一つある。夏の終わり、学生は宿題に追われ、世間は秋へとシフトし始める頃。今年も、風で木々を揺らし、あらゆる交通網を停止させつつ、ジェノサイドさんが、来る。

(2009年度新入生歓迎号 掲載作品)